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「15の夜」について語る時がきた

なんかそれっぽいタイトルだが、特に意味はない。

尾崎と言えば、ジャンボである。いや違う。いや違わないか。ジャンボも尾崎だ。確実に。しかし、今回の尾崎は豊である。

尾崎豊と言えば、バイク乗りの間でよく話題になるのが、「15の夜」のサビの部分だ。「盗難した自動二輪車で走行開始」(著作権保護の観点より)という、あまりにも有名なあのフレーズである。

バイクを愛する人々にとって、バイク盗難は許し難いものだ。オレ自身、かつてモトクロッサーCR80を盗まれたことがあり、しばらくの間、立ち直れないほどのショックを受けた。

バイクを盗まれると、ものっすごい精神的ダメージに襲われるんだ。思い出もたくさんあるし、アイツから教わったこともたくさんあるし、とにかく密度の濃い時間を共有していた分、それを盗まれた時の喪失感はハンパない。何もかもイヤになる。

バイクを盗むヤツを心から憎むし、軽蔑する。そいつがプロだろうと、ガキのちょっとした遊び心だろうと、外国人だろうと、等しく許せない。バイクが原チャリだろうがビッグバイクだろうが、絶対に許せない。本当に。

バイクに限ったことじゃない。人の物を盗るんじゃねえ!!!!!

そのうえで。

尾崎の「盗難した自動二輪車で走行開始」は、オレは歌詞としてかなり上出来だと思っているのだ。バイクに乗りながら、今もよく絶唱する。

「盗難した自動二輪車で走行開始〜♪ 目的地もよく知らないけど〜♪ だんだん暗くなってくる夜へ〜♪ ぜってー束縛されたくねえし〜♪ 逃避した夜〜♪ フリーダムになれた気がしたティーンエイジど真ん中ナイト〜♪」と。

うーむ……。
歌詞、分かりますよね。
分かんなかったら、尾崎が思い入れたっぷりに暑苦しく歌い上げるこの動画でも。

「15の夜」の歌詞は、バイクをモチーフにして、あの時代──狂騒の80年代──を、かなり的確に描写していると思う。

オレは尾崎ファンではないから、「15の夜」が実話に基づいているのか、あるいは尾崎がバイク乗りだったのかは知らない。ただ、彼が表現者として高いレベルの嗅覚と才覚の持ち主だったことは間違いない。

あの時代、バイクは確実にそういう存在だった。オトナ社会に対する若者のカウンターカルチャーとして。思春期のモヤモヤ発散ツールとして。バイクは若さ(ゆえのバカさ)の象徴で、なんつーかこう、あぶれモンというか、まぁ決して威張れるものじゃなかったんだ。

暴走族はその際たるもんだったが、峠の走り屋だって似たようなもんだ。オレなんかピヨピヨだったから、怖くて恐ろしくて、とてもじゃないけど大垂水とか奥多摩なんか行けたもんじゃなかったもん。殺伐としててさ。

悪いことが分かっててもやるか、悪いと思ってないか、いずれにしてもバイクは悪かった。

まっとうに、静かに、楽しんでる人もいたと思う。SR400とかGB250とかでしずしずと走っている人もいただろう。でも、当時のオレの目に、そういう人々はまったく入らなかったし、実際、主流ではなかったと思う。

信号待ちで隣にバイクが並ぶ。チラッと目が合う。軽くアクセルをあおってくる。ブイン、ブイン。オレも反応する。ブイイン。お互いにヘルメットの中でニヤリと笑っている。隣の信号が赤に変わる。軽く伏せる。青だ、行け!!! 信号待ちのたびにヤツと何度かそんなやりとりをする。そしてヤツはウインカーを出し、軽く手を上げて去っていく……。

マンガでも映画でも小説でもなく、リアルにこういうことがしょっちゅうあった。

オレがバイク乗りになったのは、そういう時代だった。

程度の差こそあれ、バイクが、そして若者そのものが、悪と反逆の象徴だった時代。尾崎は「盗難した自動二輪車で走行開始」というフレーズで、見事に表現している。

尾崎が「盗難した自動二輪車で走行開始」と歌ったせいで、そういう時代になったんじゃない。尾崎は、あの時の世相や世代の気分を切り取っただけだ。

多くがその雰囲気に共感できたからこそ「15の夜」はヒットしたんだろうし、決してファンではなかったオレでさえ、バイクに乗りながら「盗難した自動二輪車で走行開始〜♪」と歌ってしまうわけだ。

熱かったんだ、なんだかんだ言って。突っ張って見せたり、粋がって見せたり、あちこちぶつかったり転がったりしながらでしか、前に進めなかった。逆に言えば、まだそういう効率の悪い成長の仕方が、許された時代でもあったんだ。

……本当は、許されちゃいなかったんだけどさ。

だから尾崎は「フリーダムになれたフィフティーン・ナイト」とは言い切らなかった。「フリーダムになれた気がしたフィフティーン・ナイト」と歌った。「気がするだけ。自由なんか幻想だ」と見抜き、冷たく俯瞰している。そこが彼のすげぇところだ。

それはともかく。

今、「盗難した自動二輪車で走行開始」に多くのバイク乗りが嫌悪感を覚えることから分かるように、バイクはもはや、悪と反逆の象徴ではなくなりつつある(……常に例外はあるけどさ)。

「盗難した自動二輪車で走行開始〜♪」に対して、「人の物を盗むんじゃねえ!!」とツッコミが入る。そのツッコミは、あの時代に生きたオレとしては多少の息苦しさを感じながらも、コンプライアンスとしては100%正しく、そうだよな、と思う。

(余談だが、歌詞としては相変わらずアリの範囲内だと思っている。「マネするヤツがいる」という意見もあるが、それは受け取り側の問題だ。もしアレがNGなら、ほとんどの表現は許されなくなる)

バイクは決して、悪と反逆の象徴であるべきじゃない。今の社会に受け入れられる価値があることを、ちゃんと表明しなくちゃいけない。

先頃ホンダがリリースしたNC700Xは、メーカーとしてのひとつの回答だ。親しみやすい性能、デザイン、価格、そして燃費。「盗難した自動二輪車で走行開始〜♪」をたくさんの人が絶唱していたあの時代にNC700Xがデビューしても、「チッ!」とか「ハッ!」とか言われて終わっただろうけど、どうやらNC700Xは大絶賛で、予約も埋まっていると聞く。

時代に合う商品を出せば、ちゃんと受け入れられる。とても健全なことだと思う。バイクだから売れないんじゃない。売れないバイクを作ってるから売れないんだ。

一方で、バイクは悪と反逆の象徴、が主流だった時代を生きたオレ世代の中には、尖った、ツッパったモノに対する希求が、どうしてもある。どうしてもバイクにヒエラルキーを見出そうとするところが。

でもさ、もういいじゃん、と思うんだ。デカいがエラいわけでも、速いがエラいわけでも、高いがエラいわけでもない。もうそういうのは古いんだよ。それぞれが楽しんでりゃ、それでいいんだ。今の時代に理路整然とフィットしててクールでスマートなNC700X、全然アリでしょう!!

尾崎の歌詞だって、今の若者にはまったく共感されないらしいじゃん。「ひとりよがりで意味不明」「誰に対して怒ってるのか分からない」って失笑するらしいよ。内面から沸き上がる得体の知れない不安感とか、それに対する焦燥感とか、弱い自分への憤りなんてものは、もうめんどくさいし古くさいし理解されないってことらしいんだよ。

……いやちょっと待ってくれよアニキ。オレの中に魔物がいるんだ。「バイクでブッ飛ばしてスカッとしてえ!」と叫ぶ魔物がよ。アクセルを思いっ切り開けて加速に酔いしれてよぅ、バイクを傾けて路面が近付いてよぅ、ヒリヒリする緊張感の中で、日常を置き去りにしちまいてぇんだよぅアニキ!!

そう思う人は、どの世代にもある程度の割合で確実にいるはずだ。もしかしたら誰の心の中にもあるのかもしれない。オレ自身、自分の心を覗き見た時に、そういう願望がないとは言い切れない。だからバイクなんかに乗っている。

でも、ダメだ。

さっきからずっと言ってるように、時代はすっかり変わった。何かのはけ口としてバイクに乗っちゃいけない。交通の流れはすっかり遅くなり、高齢者が増え、クルマやバイクでやり場のない不安や憤り(失笑)を発散しようとする人なんか、ほとんどいない。

そんな中で「アニキいいぃぃぃ、オレはよおおぉぉぉ!!!!」なんて走ってたら、浮く。目立つ。悪い意味で。カッコよくない。

もし「アニキいいぃぃぃ、オレはよおおぉぉぉ!!!!」マインドの表現手法としてバイクに乗るなら、ちょっと待て、おめーバイクっつう乗り物を全然分かってねーぞ、と言いたくなる。もうちょっと分かってからでもいいぞ。分かるために、ぜひモータースポーツの世界に足を踏み入れてくんねーか。

世の中への後ろめたさや妙な反骨心なしで、単純にアクセルをかっちり全開し、深いバンク角をめざしてくれぃ。根本的に乗り手にスポーツを求める乗り物であるバイクを、より本質的に理解してほしいんだよ。

すげぇから。マジで。

バイクって、こんなにすげぇ乗り物なのかって分かるから。こんなに面白ぇのかって。こんなに奥深いのかって。こんなにいろんなことを人間に突きつけるのかって。そして、「バイクでブッ飛ばしてスカッとしてえ」なんて思わなくなるから。……あんまり。

……あんまり、なんだ。ゼロにはならないと思う。おおっぴらには言えないけど、そういう面は確実にある。

でも、しかるべき場所で、しかるべきルールに則りながら、バイクでスポーツしているうちに、バイクへの畏怖の念は強まっていく。「この乗り物すげえ」と。「オレだめじゃん」と。そんで、バイクへの愛が深まるから。もっと長く乗っていたい、と思えるから。

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バイクは、善と健全の象徴になれる。許された枠組みの中での自由、の象徴にもなれる。それ以外にも、得られるものが本当にたくさんあって、人類にとってまだ必要な乗り物だ、とオレは思うんだ。

オレ自身は、サーキットを走るようになるまで、そこまでは思い至らなかった。筑波サーキットを走るようになった、35歳までは……。

尾崎豊「15の夜」
高橋剛「35の昼」

おわり。

……何が言いたいんだこの記事は。

いや別に何が言いたいわけでもないんだよ。ここんとこ遺書だの制作ノートだのと尾崎がらみの動きがいろいろあって、そういやオレぁメットの中で「15の夜」をよく歌うなぁ、と思い、でもバイク乗りには不評だったりするよなぁ、時代は変わるよなぁ、と、つらつら考えただけです。

仕事で書く雑誌の記事は、短くまとめろ、きちんと整理しろ、筋を通せ、無駄を削ぎ落とせ、の連続だ。いいじゃん、ブログぐらいさ。テキトーに書かせてよ。

ヤングマシン4月号特集記事の取材で、13台のバイクに乗り、のべ1300kmを走った。ホントにいろんなことを感じたし、考えた。記事にはそのごくごく一部しか書き切れていない。バイクってのは終わりがないな、と、つくづく思う。だから皆さんものべ1300回ぐらいにほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ←このボタンをポチポチポチッとしてくれてもいんじゃね?

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コメント

自動2輪だったんですか。私は原付のだと思ってました。
バイクの悪のイメージもマスコミ等が勝手に創ったイメージですが、
まぁ、彼は自由に成れそうな物の象徴みたいな感じで取り上げたんでしょうね。
でも、結局は自由になんかなれなかった見たいな歌なんでしょうが。
剛さんがヘルメットの中で叫ぶのも自由になりたいんでしょうね。

投稿: ラピ雄 | 2012.02.24 14:52

>ラピ雄さん
「バイク=悪はマスコミ等が勝手に作り上げたイメージ」とは言い切れない後ろめたさが、オレにはあります。自覚してるんです、あの頃は本当に悪かったし、今もいつそうなるか分からないって。

だからあの歌を歌うのは、時代への郷愁や自由の欲求と言うよりは、自分への戒めに近いのかもしれません。こうしていろいろ考えるわけだし。テキトーですが。

投稿: ごう | 2012.02.24 16:05

待ってました!ブログ更新!
15の夜、もちろん25歳の私にはリアルタイムで聞いていた歌じゃないけど、塾の勉強合宿の夜に、先生が熱唱してくれてました。
ちょうど高校受験だったので。
でも当時は「社会にも学校にもここまで熱い反抗ってないなぁ」と冷めた(?)見方をしてました。

聞く時代、聞く年齢、聞くタイミングが違えば、また異なる感情で聞いていたんだろうなぁ。

剛さん情報の若者みたいに「誰に怒ってるのか~」とは思わない。
この人の人生は一瞬の光のようだったんだとも思う。
けど正直、歌だけ聞いてもイマイチ共感できなかった。なんでこんなにスゴイスゴイ言われるのか、よく分からなかった。
だけど剛さんの言う、80年代の時代背景をくみながら聞けば、どうして共感されたのか、どれほどの象徴的存在だったのか、
少し、イメージができました。
ありがとうございます。

まあ何が言いたいかというと、
お身体お大事にってことです♪

長文失礼。

投稿: ゆーか | 2012.02.25 22:39

>ゆーかさん
尾崎の歌詞は、時代や世代を超えるものではなかったってことなんでしょうね。でも、歌が普遍性ばかりを求めていくと、愛だの恋だの頑張れだのとありきたりな表現が氾濫することになる。難しいッスね……。

投稿: ごう | 2012.02.26 14:35

かなり辛口のコメントですが・・・・・

80年代、深夜の峠に出没していた自分としては
言いたい事は分からないではない。

でも、やっぱり「独りよがり」との批判は当たっている。

大人は自分を理解してくれない、と言いながら
自分はステレオタイプの「大人」像でしか
大人を見ていない。
全くもって、独りよがり、自分勝手。

だから、「15の夜」の怒りは薄っぺらだ。
薄っぺらだから、時代を越えられない。

今ならそう言える。

バイクも、薄っぺらでは時代を越えられない。

ユーザーも、薄っぺらでないバイクを
きちんと選ぶ目を持つことが必要だと思う。

投稿: mos | 2012.02.26 20:58

>mosさん
まさに「15の夜」は、「まったくもって独りよがりな自分勝手さ」「ステレオタイプなものの見方」に満ち満ちてますよね。でもその、mosさんのおっしゃる「薄っぺらさ」こそが、あの時代の若者のワケの分からないパワーとエネルギーの根源だったのだとオレは思います。そのパワーとエネルギーには功罪があったわけですが……。

「15の夜」がそういう時代を的確に切り取り、象徴した歌だということは間違いない。だから時代を越えられなくてもいい。むしろ越えられなくて当然だったんだと思います。アレはあの時の言葉であって、今の言葉じゃない。

本当に時代を越えて通用する普遍的な怒りや若者特有のナントカを見つけ出し、掘り下げ、表現として昇華させるべきだった、という考え方もあります。それこそが本物で、いつまでも残る歌になる、と。おそらくmosさんもそういう立場でコメントをくださったのではないかと。

でも、尾崎がそうしなかった、あるいはできなかったことに、80年代以前とは違う時代のうねりがあったのだと、オレは感じます。つまり、よいモノを作ろうとする志と、大量生産・商業主義との衝突です。ファンではないので彼のことは詳しく知りませんが、そういう葛藤があったことは確かなようです。

それは歌だけじゃなく、当然バイクにも起こっている。mosさんにとって「薄っぺらくないバイク」がどういうものか分かりませんが、「薄っぺらではなく、時代を越えるバイク」は、おそらく80年代以降ほとんど出てこなかったし、これからもそんなには出てこないはずです。メーカーがマスプロダクションを考える以上、それは事実上不可能に近い。

夢のない話をしてしまえば、ご存知のように部品には最低保有期限というものがあって、それを過ぎてしまえば補修部品の供給さえもあやしくなってきます。よほどのマニアでない限り維持しづらく、ユーザーを限定してしまう。もちろんコストの問題も、避けがたくあります。

たまには外車などに「時代を越える」バイクもあって、エンスージアストを満足させるのだけれど、そればかり追っていては肝心のマーケットが育ちません。

オレは、もうどうせほとんどのモノは薄っぺらいんだし、そこはバイクなんだから、「重厚長大な作品のような1台」を待つのではなく、時代の波に上手に、そして楽しく乗っかっちゃえばいいのかな、と思っています。

それこそ80年代的な、軽くて薄っぺらい生き方ではありますが、せめてその中で少しでも賢く立ち回りながら、自分が本当に「好き」と思えるバイクを選んで行くつもりです。

投稿: ごう | 2012.02.26 22:23

 私の考えている「薄っぺら」や「時代を越える」の意味と、GOさんの考えるそれらの言葉の意味が、かなり違っているように見受けられますが、そこを掘り下げると長くなるので、そこは省いて一言だけ。
 80年代以降は薄っぺらなバイクばかりだったと言うのは、さすがに違うと思いますよ。

投稿: mos | 2012.02.27 20:22

>mosさん
おお! オレも書いてて何か違う気がしてました。でも、分かんないんだもん(笑)。80年代以降のバイクうんぬんも、mosさんの考える「薄っぺら」の定義がはっきりしない限りは何とも言えないし……。せっかくコメントいただいたのに、読解力不足で申し訳ないです……。

投稿: ごう | 2012.02.27 20:36

おっと、乗り遅れのコメントになってしまいました。
はじめましてdandaと申します。
確か「15の夜」のミュージッククリップで尾崎豊はGB250に乗ってませんでしたか?
うろ覚えですが。確かノーヘルで。
(ちょっとイメージ合わないでしょ?)

あの頃は尾崎豊にハマっている友人も多くて自分は逆に冷めた目で見てました。やっぱバイク盗むなよ、、って。
でも歌にはパワーがあったし、影響力もあった。時代を越えているかいないかの判断基準はともかくとして80年代を語る上では欠かせない存在なのは間違いないと思うね。

投稿: danda | 2012.03.01 00:22

>dandaさん
そうなんですか! と思って調べてみたら、「Driving all night」という曲のPVで、ムダに落ち着きなくまさに中2的にGB250を走らせてますね。尾崎本人なのかなぁ、コレ……。ダサい乗り方……。

「15の夜」発売は1983年。オレ、リアル中2(笑)。リアルタイムに聴いてたわけじゃなく、実は「なんか暑苦しいのがいるな……」ぐらいの認識でした。3、4年経ってからかな、曲を知ったのは。バイクに乗りながら歌ってましたから、「盗難した……」をただの歌としてすんなり受け入れちゃってたんですね。

でも、30年近く経った今も、ネタにはなり得るあたりがやっぱりすげぇッスね。今の若者が40代になった時は、何が振り返りネタになるのかなぁ……。その頃オレは70過ぎてんのか……。70過ぎて、何を思ってるんだろう……。てか、生きてるのかなぁ……。

投稿: ごう | 2012.03.01 09:42

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