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消えない炎 〜芳賀健輔の闘志〜

13年前の今日・10月29日に、全日本ロード最終戦で事故に遭った、芳賀健輔。脊椎損傷により、車椅子生活を続けている。

これは、2002年のGOGGLE誌に掲載された記事だ。もう9年が経過している。しかし彼は、今この瞬間も、何ひとつ諦めていない。いくつもの夢を現実にしようと、もがき、あがき続けている。日本語には、「諦めが悪い」という表現がある。しかし諦めが悪いからこそ、始まることもあるのだ。


 2001年6月、イタリア・ムジェロサーキット。グランプリは第5戦を迎えていた。予選を終え、ピットを歩いていたバレンティーノ・ロッシが、車椅子の男を見つけた。ロッシは笑顔で男に近づくと、一言二言の簡単な挨拶を交わして、立ち去っていった。
「相変わらずでけえヤツだな」
 車椅子の男、芳賀健輔は思った。芳賀は昨年、鈴鹿8耐のパドックでロッシと出会い、少しだけ話をしたことがある。
「あの時から、また背が伸びてるんじゃねぇか?」
 芳賀はロッシをうらやましく思っていた。背が高いからではない。自分の足で歩いているからでもなかった。
 GPマシンは熟成が進み、各メーカー間のマシン性能差はほとんどないと言われている。そんな中ロッシは8戦終了時点で5勝を挙げ、チャンピオンシップポイントでも他を大きく引き離している。
「なんでロッシだけ速いと思う? 楽しく走ってるからだよ。最終的な夢は誰だって同じ。だったら、オレには楽しんでるロッシの姿がベストに見える」
 芳賀の言う「楽しく」とは、もちろん世界一を決するレースで勝つかどうか、という極めて高いレベルの話だ。それでも彼は、「楽しむことが大事なんだよ」と繰り返す。
 大きなアクシデント、絶望、そしてそこから立ち直るための長い時間。その末に芳賀が辿り着いたのは、「楽しむ」という意外なほど簡単な言葉だった。
「オレは楽しめてなかったよ。仕事だと思ってたからね。もちろんファクトリーライダーはみんなレースが仕事なんだけど、その中でどれだけ自分が楽しめていたか……。クリエイティブで、スピリットのある仕事ができてたかって言うと、全然そうじゃなかった。あの時だって、もう少し楽しむ余裕を持ってたら、あんなことにはなってなかったかもしれない。今はそう思うよ」

 1998年10月29日、木曜日。全日本ロードレース選手権最終戦のフリー走行で1台の赤いマシンが転倒した。芳賀健輔の乗るYZF750だった。芳賀はその日のことをほとんど覚えていない。
「午前中にカートに乗ったことだけは覚えてる。あとは何も」
 仙台の病院で過ごした2週間はまったく記憶にない。自宅近くの名古屋・中部労災病院に移ってから、ようやく意識が戻り始めた。
 集中治療室から一般病棟の個室に移され、「背中を強く打った。神経が圧迫されて足が動かない」と聞かされた時は、「どうしよう」と血の気が引いた。
「やりたいことはもう何もできない」
 絶望した。神経は切断されていなかったので、回復の見込みはゼロではない。けれど、芳賀に残されたのは1%にも満たないわずかな可能性だった。
 レースはもうできないかもしれない。それどころか、もう歩けないかもしれない。家族との時間は──?
 芳賀のひとり娘、美玲は当時2歳。テレビニュースで七五三の映像を見て、「1年後、オレは美玲に何がしてあげられるんだろう」と暗い気持ちになった。
「美玲やヨメさんに、やってあげたいと思ってたことがいろいろあった。そんな夢が全部ぶち壊された感じ」
 不安定な精神状態が続いた。人から「頑張れ」と言われるだけでも「そんなこと自分が一番分かってる!」と心の中で叫んだ。親、妻、看護婦。身近にいる人すべてに当たり散らした。
 1999年当時、中部労災病院で芳賀のケアをしていた看護婦の石橋亜衣子は、芳賀をこんなふうに見ていた。
「弱いところを人に見せるタイプじゃない。けど、甘いな、と思うところもありましたよ。当たられたり、グチグチと弱音を吐いてる時は『好きにすれば?』って放っておいた」
 石橋は芳賀がレーシングライダーだということを知らなかった。
「ホントにレースをしてた人なのかなって思うぐらい、すごく慎重にことを運ぶんです。病棟に貼ってあったレースのポスターに芳賀さんの写真が載ってるのを見て、『ああ、ホントにレースをしてる人だったんだ』って初めて思ったぐらい」
 芳賀も苦笑いしながら言った。
「リハビリでビビッてると、『あなた、200キロ以上のスピードを出して走ってるレーサーなんでしょ?』って看護婦さんに叱られるんだ。でも怖いものは怖いって。こういう体になったらレーサーも何もない。みんな一緒。自信なんか何もなくなっちゃってた」

 時は流れる。芳賀の心は、足よりも早く回復し始めた。
「お見舞いに来る人みんなが、面白い話を聞かせてくれる。何てことはない、くだらないバカ話ばっかりなんだけどね。でもそれが、オレの中で『頑張って行こう』っていう力の源になっていった」
 リハビリの過程で自分と同じ境遇の人々と出会ったことも支えになった。
「車椅子で頑張ってる人ってすごく多いんだ。自分がそうなるまでは気付かなかったけどね。みんな一生懸命だった」
 自分だけが背負い込んだと思っていた絶望が、実は誰にでも起こり得るものだと気付いた。そして誰もがそこから立ち直ろうと努力していることにも。芳賀の闘志に火がついた。
「何としてでも治す。絶対にあきらめない。車椅子からレースに復帰すれば、『アイツはいったい何者なんだ』って、注目もされるじゃない?」
 リハビリというよりも、トレーニングに近いメニューをこなしていった。
 心の回復も決して順調にはいかなかった。事故から数ヶ月が経ち、自分の体の状態を何とか受け入れ、前を向き始めた芳賀だが、今度は外からのプレッシャーに耐えなければならなかった。自分の力ではどうすることもできない、重く冷たいプレッシャーだ。
「病院には車椅子の人がたくさんいるのに、街ではちっとも見かけない。何でだろうと思ってたけど、自分が外に出るようになって分かった。すごく特別な目で見られるんだ。障害者に対する意識が低い。道路は段差だらけで車椅子で進むのも一苦労だし、トイレもろくに行けない。これじゃ出歩く気もなくすって」
 特に年輩者の視線はきつく感じた。
「汚い物を見るような目で見るんだよ」
 と吐き捨てるように言う。若い人の方がよほど自然に接してくれた。
 そんな折りにリハビリで行ったアメリカ・コロラド州デンバーは、福祉の街だった。街全体のバリアフリーが徹底していて、過ごしやすかった。
「外を見渡すと、必ず一人や二人は車椅子の人がいる。そしてすごく自然に、知らない人が介助してるんだ。目をそらすような日本とは大違いだった」
 デンバー帰りに、ラグナ・セカに寄った。その年からワールドスーパーバイク選手権にフル参戦していた弟、芳賀紀行のレースを見るためだった。
「誰もが車椅子のオレを自然に受け入れてくれた。中にはオレのことを紀行だと勘違いするファンまでいたんだよ。どうしてレースに出てる紀行が車椅子だなんて思い違いをするんだろうね!」
 車椅子でサーキットに行ってもいいんだ──。福祉の街・デンバーで過ごし、ラグナ・セカで自信をつけた芳賀は、日本に帰るとそのすぐ後に行われた鈴鹿8耐に顔を出した。
「自分としては何も変わりなく行ったつもりだった。でも、周りはそうじゃなかったんだ。『来たんだね』という言葉はかけてくれるんだけど、その後の目!」
 ラグナ・セカとは正反対の、本当に苦い思いだった。
「その視線に、改めてオレは障害者なんだって思わされた。暗い気持ちになったよ。障害者を障害者にするのは、本人の体じゃない。周りの人間の心なんだ。オレに言わせれば、そういう目で見るヤツらの方がホントの意味での障害者だよ」
 二度とサーキットなんかに行くものか、と思った。

 だが、芳賀にはレースしかなかった。
「違う世界で何かをしようと思ったら、まったくゼロからのスタートになる。車椅子っていうハンディを背負って、ゼロからのスタートなんて……。モータースポーツの世界なら、ゼロってことはないからね。やっぱりここに戻っちゃう。いや、戻るって言うのとも違うな。なんて言えばいいのかな、うん、ここにすっぽり納まっちゃうんだ」
 幼い頃からバイクに親しみ、モータースポーツと共に20年以上を過ごしてきた。例え冷ややかな視線を浴びようと、サーキットでしか生きられないのだ。
 弟の紀行も同じだ。兄が車椅子生活になっても、レースから離れなかった。
「オレだっていつオニイみたいになるか分からない。オレがならない保証なんてどこにもない。でもやめられない。オレにはこれしかないしね」
 と紀行。
「オレのたった一人の兄貴なんだから、パンチのある所を見せてほしい。やっぱりオニイには、いつでもオレを引っ張っていってほしいからね。今は少し難しい状況だけど、チャンピオンになれるライダーだって思ってるし」
 芳賀健輔もその夢を捨てていない。
「今オレは、休養中なんだ。ちょっとやそっとじゃできないようなつらい思いをしてるからね、復活した時は強いライダーになってると思うよ。そして『芳賀兄弟はバケモノだ』って、世界的な話題になってやるつもり。紀行も絶対頑張ると言ってくれる。オレもそれに応えないとね」
 6月のムジェロサーキットを、芳賀兄弟がスクーターで走った。兄の健輔が前に乗り、アクセルとハンドル、そしてブレーキを操作した。弟の紀行は、足が徐々に落ちてしまう兄を支える。事故の後、初めてのサーキット走行だった。
「モーターホームでうだうだしてたら、いきなり紀行に怒られてさ。『外出ろ、スクーター乗れぇ』って。2年半以上経ってるしね、気持ち良かった。やっぱりバイクは2ストだよ」
 と笑った。しかし、その胸中はただ爽快なだけではなかった。
「やっぱり複雑だったね。また走りたいなってすごく思った。うずうずしたよ」
 初めて自分の目で見た、グランプリのヨーロッパラウンド。大型トレーラーやモーターホームがずらりと並ぶパドック。そして、そこを舞台に走るヤマハファクトリーの後輩、中野真矢や松戸直樹。
「オレはここに来たかったんだ」
 素直にそう思った。
 事故の後も「レースをやっていて後悔する気持ちは一切ない」と言い切っていた芳賀は、本場ヨーロッパでのグランプリを目の当たりにして、改めてモータースポーツの素晴らしさを感じた。
 今、芳賀はリハビリを続けながら、新しい活動を始めようとしている。その将来的な予定の一つに、親子バイクスクールの開催がある。
「とにかくバイクに乗ることは楽しいんだってことを子供のうちから知ってもらいたいくて。ホントはレースは、やる側も見る側も楽しいはずなんだから」
 モータースポーツを、そしてモーターサイクルを愛する者として、自分にできることは何か。考えた末に芳賀が行き着いた結論だった。
「ロッシも、小さい頃からオヤジのレースにくっついて歩いて、ヨチヨチ歩きの頃からエンジン音を聞いてたんだと思うんだ。オヤジと一緒にモーターホームで過ごしたりして、すごく楽しかったんだよ、きっと。そしてオヤジが何をするとカッコ良く見えて、何をすると人に喜ばれて、何をすると怒られるのか、全部見てたんだと思う。そして今それを、自分で全部実行してるだけなんだよ。楽しさをベースにしてさ」
 芳賀の娘、美玲はもうすぐ5歳。レストランなどの駐車場で、車椅子マークが付いているエリアに停めたクルマから健常者が降り立つと、
「どうしてあの人、歩けるのにあそこに停めるのかなあ? いけないねえ」
 と言う。物心ついた時から車椅子の父親に触れている美玲がごく自然に発した言葉は、芳賀の心を打った。幼い頃、何にどう触れているか。そのことの大切さに、娘を、そして自らの負傷を通して、芳賀は気付いたのだった。
「そんなこと、ケガでもしなかったら分からなかった。得た物は本当に多いよ」
 芳賀の足は、ほんの少しずつだが動き始めている。

おわり


名古屋で「K-max」というショップを経営している芳賀健輔。「オレはほら、アスリートだからさ」と、プライドとアグレッシブさはまったく失っておらず、つくづくカッコいい。あれから13年も経ったんだなぁ……。この記事を書いた時、オレは33歳かぁ……(遠い目)。何も変わってねーような、変わったような……。いや待てよ、33歳だったってことは、ひとりあたり33回クリックしてくれてもいいわけだな、にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ←このボタンを。そっかそっか。よかったよかった。それならいいや(何が?)。というわけで、たまにはどうですかあなたも1回ぐらいカチッとにほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ←コイツを。驚くほど何事も起こらないことに驚くから。

Follow 5Takahashi←意義を見失いつつある。

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コメント

時の経つのは速いものですね。

33回じゃなく46回クリックしろと?

投稿: ラピ雄 | 2011.10.29 20:04

>ラピ雄さん
じゃあ、えーと今は18歳ぐらいってことですか? 何回でも構いません。存分に浴びるほど飽きるほどクリックしまくっちゃってください!

投稿: ごう | 2011.10.30 21:07

バイクはリスクが伴うので、家族の理解が必要ですよね。
ってわけで買っちゃいました、バイク〜。
脈絡ないですが。

ホンダドリーム長崎へCB400を見に行くつもりが、程度良好のVFR400(NC30)が目の前にありまして。
私の初バイクがNC30だったこともあり、色々やり残した感が拭えないままだったので。
R6はお預けしときます。

で、肝心要のカミさんの了解も待たずにこっそり契約しちゃったもんだから、とりあえずクリックしてみます。
いいことありますように!

投稿: ドロリッ血 | 2011.10.30 23:07

>ドロリッ血さん
いいっすね、NC30! 中古車はタイミングと思い切りの勝負! きっといい買い物をされたんだと思います。こっそり契約しちゃうぐらい好きなものなんだから、きっと理解してもらえる……はずです。じゃなきゃおかしい。いいことある! うん!!

投稿: ごう | 2011.11.01 08:17

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