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ハルナミニバイクレースはちょっと特別だった

関越自動車道前橋インターを下りると、地図を見ることもなく、正しく榛名モータースポーツランドへの道にサンバーを進ませている自分に驚いた。

最後に榛名に行ったのは、20年近く前だ。オレは大学生で、レーシングカートをやらせてもらっていた。「ごうはバイクに乗ったら確実に死ぬ」と断言し、2輪絶対断固反対の強硬姿勢だったオヤジを、「じゃあ4輪ならいいんだな?」と丸め込んだのだ。カートのホームコースにしていたのが、榛名だった。

まだクルマの免許はなく、毎回オヤジがトランポを運転した。オヤジはフリーのデザイナーだったから時間に融通がきき、平日でも付き合ってくれた。徹夜してそのまま出発する朝もあったし、カートの押しがけをしたり、整備を手伝ってくれたり、50代半ばだったオヤジにとっては、体力的にしんどかったと思う。しかも草レースレベルとはいえ、結構なお金がかかる。でも、オヤジ自身モータースポーツが好きで、文句を言われた記憶はない。

人生初レースも、榛名でのカートレースだ。それまでにかなり練習していたから緊張はなく、とても楽しかった。結果は忘れてしまったが(大した成績ではなかった)、映像をよく覚えている。

カートは走りながらスタートするローリングスタートだ。べったりと低いカートがひしめきあいながら、徐々に縦2列の隊列を整える。チャンバーから吐き出される白い煙が、コースを覆う。カストロールR30が焼ける甘い匂い。弾け飛んでシールドに当たるタイヤのカス。加減速しながらタイミングを計る。そして、日章旗が振り下ろされる。スタートだ。1万回転も回る2スト単気筒100ccエンジンの甲高いエキゾーストノートに包まれながら、1コーナーになだれこむ。サイドボックスにタイヤをガシガシと当てながら、少しでも前に出る。

……書いてるうちにカートレースにも出たくなってきた……。

レーシングカートの情報が欲しくて、オレはレーシングオンという4輪レース専門誌を毎号買っていた。ある時、巻末に「編集補助アルバイト募集」という記事を発見した。何となく書くことが好きだったオレは、「お?」と思った。「編集っつうのは、書く仕事に近いんじゃね?(つまり編集が何たるかはまったく分かっていなかった)」と、かなり軽い気持ちで応募し、運良く採用され、アルバイトすることになった。

それ以降、現在に至るまで何だかんだで約20年、編集や書く仕事に携わることになる。会社員時代はカートレースをするヒマなどまったくなく、榛名からも遠ざかった。やがて転職したり、フリーになったりするうちに、いつしか2輪の仕事が増えていった。どうしてもバイクの仕事がしたかったわけではない。人の縁に流されているうちに、自然にそうなっただけだ。社会人のオレに、もはやオヤジもバイク反対とは言わなくなっていた。

オヤジに榛名でレーシングカートをさせてもらっていたおかげで、今、オレは書く仕事をしている。そして結局は、オヤジが反対していたバイクの仕事で、榛名に戻ってきた。

不思議なものだな……。

そう思いながら、サンバーのハンドルを握る。景色はまったく覚えていない。建物もだいぶ変わってしまっているようだ。でも、道路は覚えている。長い長い上り坂、陸上自衛隊相馬原駐屯地、曲がり角、先が見えない急なアップダウン……。

間もなく榛名モータースポーツランドに到着する。20年ぶりの榛名。オヤジは、とにかく速い人が好きだった。素晴らしい走りっぷりのカーターを見つけると、息子であるオレはそっちのけで、楽しそうに話し込んでいた。その姿を見るにつけ、「クソ! 遅くて悪かったな」と面白くなかった。

オレ、カートでは速くなかったけど、バイクでも大したことねぇぞ。
悪いな、オヤジ……。

そう呟く。

榛名の様子はすっかり変わっていた。メインストレート脇まで迫っていた杉林がすっかり切り開かれ、パドックは広くなり、大きな駐車場も整っている。コースレイアウトも変わっていた。でも、榛名は榛名だ。下りのストレート、上りきって下るヘアピン。回り込んだ最終コーナー。あちこちに面影がある。

Img_3998

ヤバい……。
感傷的になっている自分がイヤだ。
でも、止まらない。思い出が胸に迫る。

いつもカートの話ばかりしていた。「とにかく1番になれ」がオヤジの口癖で、「難しいんだよいろいろとよー」と口をとがらすオレの言い訳はまったく聞いてくれなかった。オヤジはメカに詳しくないので、とかく精神論ばかりぶつけてきて険悪になることもあった。

よく分かっていないくせに「ああ走れ」「こう走れ」とあまりにもうるさいオヤジを、一度だけ無理矢理カートに乗せた。「恐ろしい……。こんな難しい乗り物を操ってたのか」とおとなしくなったのはほんの数日。すぐまた口うるさく言うようになった。

とにかく走らせようとしてくれた。朝イチの走行でフレームが折れ(カートのフレームはしなるので、金属疲労で折れることがある)、「今日は走れないな」と諦めていたら、「何とかしてやる」と近所の自動車整備工場に頼み込み、フレームを溶接してもらったのには驚いた。フィーリングはまったく変わっており練習にはならなかったが、妙にくすぐったかった。

オヤジの命日は覚えていない。
誕生日は覚えている。
何年か前にオヤジが死んだことを、オレはまだ認めていない。

こんなナーバスな状態でレースに出たら、オレ、シールドの中で泣いちゃうかもしれないな……。

CBR150にまたがって、オレは少し心配だった。

そして、最初のフリー走行。レーシングカートの残像はまるでよぎらなかった。オレはただCBR150を走らせることに夢中だった。オヤジのことなんか、これっぽっちも考えなかった。予選でも、決勝でも。これっぽっちも、だ。帰り道もオヤジのことなんかキレイさっぱり忘れていて、無転倒5位入賞の喜びだけがあった。

オヤジが反対していたバイクだから、久々の榛名行きを報告しようとも思わない。オレはオレの人生を生きる。でもオレはオヤジから、「レーシングに直結している何か」を受け継いでいる。確実に自分の中に流れている「何か」を、素直に認める。それだけで十分だと思った。にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ

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コメント

ちゃんと同じ血を引いてるんですね。

俺も同じ血引いてます。
・・・オヤジ元カミナリ族(笑)


そういやレーシングオンって愛読書だったなぁ。しかも20年ちょっと前から。
実はその頃からゴウさんとは赤い糸で結ばれてたんですね!・・・げぇっ!

・・・えっと
AS誌には負けないぜ!って感じが若々しくてよかった。
ネルソン・ピケットとかテイリー・ブートセン書いてなかったし(笑)
っていうかブートセンって・・・・・

投稿: しの | 2011.03.18 00:15

>しのさん
カミナリ族て。R'onでは「GPS」っておふざけコーナーを担当したこともあったよ。短期間だったけど。……っていうか他に何やったかな? 思い出せん。エヤトン・センナ。

投稿: ごう | 2011.03.19 00:36

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