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レーシングライダーの肖像 伊藤真一 [ 直情 ]  

38歳で全日本ロードレース最高峰クラス・JSB1000の王座を射止めた伊藤真一。
「オレは誰よりも多く、死ぬほどマシンに乗っているんだ。負けるわけがない」
そう思っていた伊藤にとって、当然の結果だった。

BiG MACHINE誌 2006年2月号掲載)
(撮影:高島秀吉 文:高橋剛)

Rider_ito
HONDA DREAM RACING TEAM 伊藤真一

先行する意識

 コーナーを旋回している時、意識はすでにその先のコーナーを駆けている。今、ここで起こっている現実は、もはや過去のことだ。現実に対処する肉体と、未来に向かう意識とを分離させ、自分の走りを俯瞰する。伊藤真一は、そうやって走りを高めていった。今という瞬間は、過去のもの。彼のまなざしは未来に向いている。

 その日、東北地方は時おり雪が舞う曇り空で、街には色がなかった。伊藤はその風景と同じモノトーンのファッションに身を包んでいた。宮城県岩沼市にある、伊藤が経営する外車販売会社の一角で、僕は彼と向かい合って座っていた。ガラスの向こうに広がる鉛色の寒々とした光景とは裏腹に、高級外車が並ぶ店内は暖かい黄色の光に満ち、ほどよく空調されている。
 伊藤は屈託なく話をし、気負いやてらいを感じさせず、時に無邪気と言いたくなる笑い声を上げる。彼が全日本ロードレース最高峰クラスで3度王座を獲得し、'93年から'96年まで世界グランプリにフル参戦したライダーだということを、僕は忘れそうになる。

「若い時はね、何も分かっていなかったんですよ」。'05年、38歳で全日本JSB1000の王座に就いた伊藤が言う。その言葉には飾り気がなく、リアリティだけがある。世界GPにフル参戦し始めた時、伊藤は26歳。10年以上前の話だ。
「今思えば、『ああじゃないとダメ』『こうじゃないといけない』という思い込みが強すぎて、ライディングに全然関係ないことにずいぶん気を取られてた。トレーニングしすぎでかえって疲れたり、『新品のツナギは硬くてダメだ』とかね(笑)。走り出す前に余計なエネルギーを使ってたんですよ。そしてヨーイドンでレースがスタートすると、何も考えてなさそうな外人ライダーに負ける(笑)。それでまた考え込むという悪循環だった」

 当時、世界GPではオーストラリア人のミック・ドゥーハンが猛威を振るっていた。'94年から王者であり続けたドゥーハンに対し、伊藤は自らのマシンセッティングに四苦八苦し、勝負どころではなかったという。
──今ならどうしますか?
 そう尋ねると、伊藤は間髪入れずに「ミックと同じセッティングで走りますよ。余計なことに頭を使わなくて済むでしょう? それで僕の方が速く走ればいいんだから」と笑った。
 だが、若かった伊藤は悪循環から抜け出せず、4年間のシーズンで最高位は2位を2回。ついに1勝を挙げられないまま、GPを去った。

 日本にレースの拠点を戻した伊藤は、ホンダファクトリーライダーとして全日本ロードを戦う。'98年には自身2度目の全日本最高峰クラスチャンピオンとなった伊藤だが、'99年、'00年とランキングは4位。そして'01シーズンを前にして、HRCから「開発に回ってほしい」と言われた。テストライダーとしてホンダのモトGPマシン・RC211Vの開発に携わる、という話だった。この時、伊藤は34歳。
「残念だったけど、失意のどん底って感じでもなかった。どちらかと言えばワクワクしてたかな。『テストライダーなら、GPの時みたいにヨーロッパをあちこち回れるぞ』なんてね」
 これが転機となった。テストライダーの仕事は、ファクトリーライダーに比べると走行時間が格段に増える。GPを例に挙げると、レースウィークの3日間での走行セッションは合計6時間弱。年間17戦としても、走行時間は100時間程度だ。レースウィーク以外に行われるテストを合わせても、200時間には届かないだろう。だがテストライダーは、伊藤の言葉を借りれば「死ぬほど走る」仕事だ。
「しかも、タイムを求められるんです。タイムを出さないことには、比較テストになりませんから。さらに転んじゃいけない。テストのたびに予選のような集中力の高さが求められるし、マシンを降りれば正確にコメントして正しく評価する必要がある」
 伊藤にとって幸運だったのは、HRCと同時にブリヂストンともタイヤの開発ライダーとしての契約を交わせたことだった。RCVのテストで使用するタイヤはミシュランだったが、それとは別にBSタイヤの開発に携わる。タイヤメーカーをまたいでの契約は希有で、それだけ伊藤の能力が買われたとも言える。

 新しい仕事に、伊藤は柔軟に対応していった。強烈なパワーを発生するRCVの開発では、ライディングスタイルを変える必要があった。世界GPを戦っていた頃の伊藤は、自分にマシンを合わせようと躍起だったが、伊藤自身がRCVの特性に合わせてライディングを変化させていく。BSタイヤの開発では、多くの種類のタイヤを比較テストする中で、さまざまな挙動と対処の方法を知った。
 コメントにも自信を付けていく。速く走れるかどうか。フィーリングはよいか。総合的に判断しながら、新しいパーツやタイヤを評価する。
「開発スタッフは頭がいい人たちですから(笑)。コメントを的確に理解して、よりよい物を作ってきてくれる」
 そしてまたテストする。多くの人が「いい」と言っても、自分がダメと感じたものはダメと言い切る。RCV、そしてBSタイヤの開発は、高い次元でこれらが反復された。やがて伊藤の意識は高まり、自分のライディングを俯瞰するようになっていた。
「必ずしもライディングが完璧である必要はない。事前の気苦労なんてもってのほかだった。ただ、自分の走りを客観視することが大事だったんです」

 もともとメカ好きの伊藤は、マシンの各部がどのように作動しているかをイメージしながら走っていた。ブレーキレバーを握る、フロントフォークが沈む、マシンがバンクする、リヤタイヤにトラクションがかかっていく……。そういった一連の動作の中で、例えばフロントフォークならスプリングがどう縮み、反発し、フォークオイルがどう流動しているのかを想像する。
 テストライダーとして密度の濃い走行を重ねるうちにイメージの精度と速度が高まり、未来の動作を予想しながら走るようになった。
「だって、今起こっていることを考えてる間に、そこはもう通り過ぎちゃってるでしょう?」と、伊藤は笑う。速度が、タイムが上がると言うことは、そういうことなのだ。
「意識が先行していれば、力を抜いていても、事前に考え込まなくても、速く走れるものなんです。40歳を前にして、やっと楽に速く走れるコツをつかめてきた。こう言っちゃなんだけど、バイクに乗ってるだけの話。物理を超えた走りができるわけじゃないし、どうせ自分が持ってる力しか出せない。だったら、楽に走った方がいい(笑)」
 この余裕が成果を呼ぶ。BSタイヤと曙ブレーキの開発という主目的で全日本JSB1000にエントリーし、チャンピオンになった伊藤。「自分の積み上げてきたものが正解だったことが証明できた」という感想は、もはやレースの勝敗とは別の次元にある。

 モノトーンの街で、モノトーンに身を包みながらも、「勝って家に帰ると本当に気分がいい。バイクに乗ることは楽しいし、今はレース以上に面白いことはない」と笑う伊藤は、未来に生きる者に特有の楽観的な明るさと華やかさに満ちていた。「38歳のチャンピオン」は、強靱で、しなやかだ。

P R O F I L E
1966年12月7日生まれ。
'88年、21歳でホンダワークス入り。
'90年、全日本GP500クラスでチャンピオンに。
'93〜'96年、世界GPに参戦し、最高ランキングは'95年の5位。
レース活動の場を日本に移してからは、'98年全日本スーパーバイク王座獲得の他、
鈴鹿8耐で2度の優勝を果たしている。
そして'05年、全日本JSB1000でチャンピオンに。
ドゥカティからモトGPにも参戦するなど話題を振りまいた。


後記:
この時、初めて伊藤さんに取材させてもらった。いやもうマジでカッコよくて驚いた。すげぇなぁ、カッチョいいなぁ、こんなカッチョいい男がホントにいるもんなんだなぁ、という感動が、そのままページになったように思う。「サーキットを走ってると、こんな風にうまく行かなくて」というような悩みを相談すると、「いやぁ、僕も同じですよ」と伊藤さんは笑う。……同じなのか?「完璧な1周なんて、いまだにない。だから面白いんじゃないですか?」……確かに同じ、かもしれないけど……。にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ

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コメント

カッコいい!!

去年パドックで握手していただいたけど、カッコいい!

伊藤選手からキラキラした光が出ているのは気のせいかな^^;

投稿: ジョン19 | 2010.02.12 11:04

長く第一線で走り続けている人の
思考、感覚が
バイクに乗っている人の視点で
伝わってきました

中野選手のとこもそうでしたが
すげー 面白い!
fun じゃなくて インタレスティング!

機会があれば
もっと載せて頂きたいです

投稿: チャーリー | 2010.02.13 04:59

>ジョン19さん
そうそう、キラッキラしてるんですよねー。実際、瞳もキラッキラだし。徹夜明けの自分の充血したドロンとした目を見ると、ため息しか出てきません・

投稿: ごう | 2010.02.18 12:06

>チャーリーさん
ありがとうございます。あと2人分あるので、気が向いたら掲載しますね。でもでも、このシリーズ、どっかの雑誌で書かせてくれないかなー。どのレーシングライダーに話を聞いても、みんなめちゃくちゃインテレスティングなんですよね〜。

投稿: ごう | 2010.02.18 12:08

伊藤選手とは、確か89年か90年頃。
私がRS250かNSR・F-3時代にHONDA開催の
「HRCクラブ」で御遇いしたのが初でした。
当時の彼は昇格同時のファクトリー入りで「シンデレラボーイ」と呼ばれてましたね。
私と同じ年齢なのも有り、ウワサが本当かどうか確認したくて近づこうとしたのを思い出します。
実際は当時から人気者でしたので、とても近付けませんでした。

諦めて走り始めて1度目のチェッカーを受けてピットイン。
汗を拭きながら、スポーツドリンク。

  その頃でしたっけ・・・

伊藤選手が近寄って来るでは有ーりませんか!
誰かに向かって何かを言ってる様子です。
  ん?  俺?
そうです。
伊藤選手から話掛けてきてくれました♪
「・・・訛ってるけど良い人じゃん!!」
ってのが正直な第一印象。
ウワサでは皆から気に入らない奴だと聞いてたけど、実際に自分で逢って会話してみてハッキリと判りましたね。
見た目も俺様の次位にカッコ良いし・・
人としてはずっと出来た男でしたがね。
やはりウワサなんてモノは当てにはなりません。
実際に自分自身で確認すべきだと、伊藤選手に教わり、その後、全日本選手権参戦では予選落ちは1回だけだったかな・・
懐かしいです。
伊藤選手のお陰でロードレース時代の記憶は出し切った思い出のみです。
今更ですが ありがとう ございました!

ーps-
最近知り合った4輪レーサー
日本一のフェラーリ使い・で有名な太田哲也サンも伊藤選手と知り合いですが、私の第一印象と同じ誉め方をしましたね。

投稿: 潤☆JUN | 2010.02.27 17:36

>潤☆JUNさん
うーん、伊藤さんとどんな話をしたのか気になるところですね。

投稿: ごう | 2010.05.30 17:43

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