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レーシングライダーの肖像 中野真矢 [ 渇望 ]

グランプリライダーになることは、たやすくない。
だが、その場に居続けることの方が、よほど困難なのだ──。
最高峰クラスで戦い続けて5年。
2005年9月18日、日本GPでの中野真矢は、
青年から大人へとその表情を変えていた。

BiG MACHINE 2005年12月号掲載)
(撮影:髙島秀吉 文:高橋剛)

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Kawasaki Racing Team 中野真矢

強く、より強く

 白煙を噴いたマシンを投げ出すようにしてグラベルに止めると、中野真矢はオフィシャルのバイクの後ろに乗り、観客に手を振りながら去っていった。彼の日本GP決勝レースは、エンジンブローによりわずか8周で終わった。
 中野がピットに戻ると、すぐにシャッターが閉められた。
「エンジン、壊れちゃったよ」
 スタッフとごく簡単に言葉をかわす。ヘルメット越しに覗く目は、少し笑っているようにさえ見えた。
 その直後だった。
 いったん椅子に座りかけた中野は「うおおっ!」と短く叫ぶと、椅子の脇の棚を思いっ切り蹴り上げた。硬いレーシングブーツで蹴られたプラスチックの引き出しは割れ、中身が飛び出す。中野は何度も何度も吠えながら、棚を蹴る。
 しばらく蹴り続けた後、中野は「すいません、抑えきれなくて」と、散らばったものを拾い始めた。
「いいから、もういいから」
 たまらずチームスタッフがヘルメットをかぶったままの中野を抱え、ピットから連れ出した。中野がいなくなった後も、ピットには張りつめた空気が充満していた。

 2時間後の中野は、何事もなかったかのようにごく普通に振る舞っていた。
「それはもう、言葉にならないほど悔しいですよ。よりによって何で日本GPでって思う。でも、仕方がないってことも分かってるんです。誰かに悪意があったあったじゃない。みんなが同じ目標に向かって一生懸命にやった結果のトラブルですしね。……でも、さすがに2日続きだったから」
 前日の予選でも、ベストラップを刻みながらのタイムアタックの最中、エンジントラブルが発生していた。
 中野は少しだけ笑顔を浮かべて、こう続けた。
「でも、わざとやってるってところもあるんですよ。ああいう場面でも見せておかないと、簡単に片づけられちゃうかもしれない。『これからどうするんだよ』ってチームにアピールして、プレッシャーをかけてる」
 速く走れること。それは世界グランプリを戦うことの最低条件。それだけでは、2輪レース界の最高峰クラスに留まることはできない──。

 世界の舞台で戦うことは、中野の純粋な憧れだった。
 子供の頃、レース漫画「バリバリ伝説」を読みふけり、ブラウン管に映る原田哲也や坂田和人ら世界グランプリで活躍する日本人ライダーたちに見入っていた。
「いつか勝負してみたい」
 腕試しが純粋な動機だった。
「みんなすごい先輩たちだけど、心の中では、『絶対に負けねぇぞ』と思ってました。そういう気持ちがないと、この世界じゃやっていけない」
 '98年、全日本選手権250ccクラスでチャンピオンになり、'99年から世界グランプリライダーとなった。'05年は7年目のシーズン。28歳の中野は、今や若いライダーにとっては先輩格だ。'04年から世界グランプリを戦っている青山博一とは、同じスペイン・バルセロナに生活の拠点を置いていることもあり、よく話をする。
「生活面については何でもオープンに話をします。でも、ライディングについてはお互い話さないですね。きっと『たいしたことねぇな』なんて思ってるんじゃないかな(笑)。まあ、それぐらいの根性がないと」

 純粋な憧れだった世界グランプリも、長くいるほどにさまざまな局面を迎え、その都度、厳しい選択を強いられてきた。一段と大人びてきた中野の顔つきが、舞台の苛烈さを物語る。
 '03年、中野はダンティーンヤマハチームで、YZR-M1を走らせていた。チーム体制はファクトリーではなく、サテライト扱い。盤石とは言えない体制ながら、中野は予選フロントローを1回、決勝では5位2回を頂点に10回のシングルフィニッシュを果たし、年間ランキングは10位につけた。
 ところが、シーズン終盤にヤマハから突き付けられたのは、「来年はどうなるか分からない」という言葉だった。中野は突き放されたように感じた。
 ランキング10位は、中野にとっても決して満足できる結果ではなかった。しかし与えられた条件の中で、やれるだけのことはやった。彼は彼なりの手応えを得ていたのだ。
「ランキング10位の自分のシートがなくなるんだとしたら、MotoGPっていうのはいったいどういうスポーツなんだ、と思いましたよ。スポーツとしておかしいんじゃないかと」
 もちろん、マシン開発に莫大な資金を投じる必要があるMotoGPは、体ひとつのスポーツと単純な比較はできない。グランプリを取り巻くマーケットの巨大さを考えれば、ライダーチョイスがヨーロッパ主導になるのは致し方ない。逆に、日本のメーカーが主力だからこそ、日本人ライダーに有利な力が作用することもある。
 そんなことは分かり切っている。でも、中野には許せなかった。憧れていたグランプリが、彼にとげとげした現実を突き付けてきたのだ。

 そして中野は、最も自分を必要としているカワサキに移籍する。グランプリに復帰して間もないカワサキとの歩みは、厳しい道程になることが分かっていたが、彼はその道を選んだ。
 中野の決断は、メーカー間の移籍が少ない日本人レーシングライダーとしての生き方に可能性を示した。そして、それと同時に、多くの人々に「もし中野がホンダRC211Vに乗ったら」と飛躍した幻想を抱かせることにもなった。しかし中野自身は極めて冷静だ。
「単純に声がかからないってことですよ。求められてないだけ」とあっさりしている。
「もし仮に今、最強マシンに乗れる話があったとしても、それが『走らせてやるよ』という待遇だとしたら、遠慮したり気後れしたりして、思いっ切り攻めることなんかできない。僕はそういうタイプ。自分が求められる場所で、何の迷いもなく全力で走りたい」

Rider_nakano_02

 自分で選択し「求められる場所」に身を置くからには、良くも悪くも結果は引き受けなければならない。
「5位だ、6位だと喜んでいられない。『日本勢トップ』『マシンの開発能力が高い』と言われても、あまりうれしくない。これはスポーツなんです。スポーツ選手なら誰だって勝ちたいに決まってる。自分より強い人、速い人がいることに納得がいかないんです」
 世界グランプリライダーになれた時は、涙が出るほどうれしかった。今は、結果を出し続けなければ世界グランプリライダーではいられないというプレッシャーの真っただ中にいる。
「『確実な来年』なんてないから、いつも不安です。でも僕には向上心があるし、挑戦する気力もある。誰よりもレースが好きで、グランプリに居続けたいと強く思っています。MotoGPで戦えるのは、世界で30人もいません。その一握りの中に自分がいるんだと思えば、喜びを感じる」
 最高峰クラスで5年を過ごした彼がめざすべきは、さらに上のポジションだけなのだ。そのためには、多少のリスクを覚悟してでも、ただひたすらに自分の選んだ道を前進するしかない。
 そういえば、と中野は日本GPのリタイヤを振り返りながら笑った。
「あの悔しさも、2、3日経ったらどこかに行っちゃいました。嫌なことは、すぐ忘れるんです」


P R O F I L E
1977年10月10日生まれ。
'83年、5歳からポケットバイクに乗り始める。
'95年より全日本ロードレース選手権にエントリー。
'97年にはヤマハファクトリー入りして250ccクラスを戦い、
2年目の'98年に全日本チャンピオンを獲得。
'99年より世界グランプリ250ccクラスに参戦開始。
'01年から最高峰クラスにステップアップし、
初年度はランキング5位でルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得。
'04年、カワサキレーシングチームに移籍した。
シーズン中はスペイン・バルセロナを拠点に、
過酷なレースを戦いながらも、世界を巡る生活を楽しんでいる。


後記:
「爽やかな好青年」「王子」と呼ばれ、そういうイメージでのみ語られていた中野真矢。でも、それだけのはずはない。ピットで見せた荒れ狂う姿は、MotoGPライダーとしての強さの象徴だった。レース後、彼に「ねえねえ、あのシーン、書いてもいい?」と聞いたら、「どうぞどうぞ」。やっぱり爽やかだったけど……。写真は、髙島ヒデヨシ。ここには載せていないが、実際の誌面では、ピットを中判ポジで撮影した濃密な写真を使っている。まだポジもアリな時代だった。にほんブログ村 バイクブログ バイク モータースポーツへ

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コメント

モテギ悔しかった・・・覚えていますよ、序盤から白煙がマフラーから微妙に出ていたんです。

そしたらリタイヤ。


モテギ表彰台に登った時も序盤煙出ていたんです、生きた心地しなかったな。

投稿: ジョン19 | 2010.01.30 21:36

ごうさん、はじめまして。

先日は、ヒデヨシさんと共に中野氏を連れて来てくださいまして、ありがとうございました。

どさくさに紛れて撮った元モトGPライダーがCRF100に跨っている貴重な写真は、自分の拙いブログに使わせていただきました。

実はあの時、ごうさんには以前お会いしたことがあるような気がしてました。
#80吉田師匠のレースで、ごうさんが師匠に(愛があるがゆえの)ダメだしをされていた現場に居合わせていたんじゃないかという・・・・・。

また、何処かでお会いできた際には、どうぞよろしくお願いいたします~good

投稿: そらいろ | 2010.02.02 01:08

>ジョン19さん
煙って、ねぇ。困っちゃいますよね……。

投稿: ごう | 2010.02.10 23:37

>そらいろさん
ああっ、ダメ出し食らってましたか! でもオレの場合ダメ出しを食らってないことがないので、日常的な光景だったと思われます。真矢くんとは、ぜひダートトラックで勝負して、こてんぱんにやっつけ……られたい。

投稿: ごう | 2010.02.10 23:39

>ごうさんが師匠に(愛があるがゆえの)ダメだしをされていた現場に居合わせていたんじゃないかという・・・・・。

ごうさん、ごめんない。

>ごうさんが師匠へ(愛があるがゆえの)ダメだしをされていた現場に居合わせていたんじゃないかという・・・・・。

と書くべきでした。読み返して気がつきました・・・・。

それにしても、
ブログを読ませていただいていると、ごうさんの文章というか、作風には惹かれるものがあります。
プロフェッショナルライター(おっ、プロフェッショナルライダーとは、「点」だけの違いですな。)のチカラってスゴイ!です。

投稿: そらいろ | 2010.02.11 12:45

>そらいろさん
えええっ、オレがダメ出しをしてたってことですか!? そんなこと、そんなこと、たぶんないと思うけど、きっとあったんでしょうね(笑)。ライターがスゴイんじゃなくて、ライダーがスゴイんですよ。点々多いし。オレは何かと「すっげぇ!」と思う性格なので、それを書かせてもらってるだけです。

投稿: ごう | 2010.02.18 12:05

ごう様
反省して居ります。
そして
ダメ出しをして戴けましたました事、
感謝しておりますです。

こんな謝りと感謝表明で御許し戴けますでしょうか?
んんー・・・どうなんだぁ・・ごうくんや!?

投稿: 師匠 | 2010.02.27 18:26

>師匠!
何のダメ出しでしたかねぇ…(笑)。

投稿: ごう | 2010.05.30 17:45

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