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袖ヶ浦フォレストレースウェイを走った

間もなくグランドオープンするという、袖ヶ浦フォレストレースウェイを走った。オープン前のサーキットを走れる機会なんて、まずない。たぶん我が人生の中で2度とない。まだ設備が整っていないまっさらなコースを、貸切状態で走る。イット・ワズ・ベリー・エキサイティング・エクスペリエンスだった。

以上。140文字。

0910271

……140文字と言えば、twitter。
twitterについて、2500文字で書こう。

インターネットにおける自己表現や情報発信の場としての主流は、ブログからツイッターへとほぼ移行を完了しつつあるようだ。何となく。印象だけど。

かつてオレがインターネッツ界に華々しくデビューし、意地と根性でYahoo!登録を勝ち取った時、ツイッターはおろか、ブログすらなかった。業務用にインストールされていたDreamweaverなどを使用してコソコソと日記状の文章を書き殴り、Fetchなどを使用してアップロードしていた。

実に面倒な作業であった。それでも「HTMLの勉強だから」というウソ臭い大義名分と、インターネットに対する物珍しさと素朴な好奇心が、めんどくさがり屋のオレをして、ホームページ(なつかしい)更新に駆り立てていた。

「せ、せ、世界に発信しちゃうんだぜ?(フル日本語だけど)。いったいオレの人生、どうなっちゃうんだろう……」。理科の実験でマグネシウムに点火する瞬間みたいな、素朴なワクワク感もあった。

やがて日記サービスの登場で更新の敷居が下がり、ブログでさらに敷居が下がった。

2009年3月27日、中川翔子が達成した1日のブログ更新回数100回は、敷居の低さが頂点というか最下点に達した偉業と言えよう。

しかし6月30日、矢口真里が101回を記録してこれを撃破。

かと思いきや、同日、中川は驚異の231回更新を成し遂げていた……。

……って。
何なのこの争いは。
荒野だ……。

ツイッターで、さらにさらに更新の敷居は下がっている。というより、もはや更新ですらない。「今」そのものだ。

twitter(笑)。違和感バリバリのツイッター用語に「ナントカなう」というのがある。まさに「たった今」なのだが、猛烈に居心地が悪い。「なう」の語感も嫌いだが、オレにとって文章は「今」なんかじゃない。そういうものじゃないんだ。

じゃあ、何なんだ?

ツイッターが「つぶやき」とは言え、誰かが発したリアルな肉声ではなく、それは文章に置き換えられている。誰かが何の気なしに書いたものだとしても、それがネットに流される限りは、人目につくことを少なからず意識している。

だからオレは、いちいち目くじらを立てながら「つぶやき」を読み込み、何かの意味や、有用性や、驚きや、発見を見出そうとしてしまう。今や非常に古臭いメディアとの対峙の仕方だ。

いいよ、古臭くて。文章を書くってことは、思っていた以上に自分にとって大事なんだな、と確認できたから。文章にしてアウトプットするには、どうしても時間がかかるんだよ。

膨大に、しかもおそろしい解像度の高さで巻き起こる出来事や心象風景を、ものすごく粗っぽい言葉に置き換える作業なんだ。変換に時間がかからないはずがない。

自分の中に取り込み、封じ込め、蒸留して、寝かせて、発酵させて、腐らせて、カピカピにして、お湯で戻して、じっくり煮込んで、土に埋めて、水をかけて、芽が出て膨らんで、花が咲いてジャンケンポン、実がなって、その実を煎って、すりつぶして、放置して、埃になって、あらかたどこかに飛んで行ってしまった、その残りカスぐらいが、ちょうどいい。

それでも手元に残っているぐらいのことこそが、オレにとっての「書くべきこと」なんだ。時間が経って何も残らないのなら、書かなければいい。書かないことも、意思表示だ。

しかしツイッターに求められるのは、猛烈な瞬発力だ。「なう」の共有感覚こそが、ツイッターの醍醐味なのだから。

一方こちらは、「書くべきか、書かざるべきか。それが問題だ」などと腕組みしているうちに思わず寝てしまって起きた時には何もかもキレイさっぱり忘れている、といった具合だ。ツイッターがしっくり来るはずがない。

というわけで、アウトプットの実験場としてのインターネットに対する関心を、急速に失ってしまったのだ。

そうだ。関心がなくなってきちゃったんだ。

ネット関連のオレの行動は、常に「ナニナニこれナニ?」という好奇心が発端になっている。ホームページ、日記サービス、ブログ、SNS……。「何だコレ? どんなもんなの?」を知るために、ひと通りやってみた。

結局は、ブログぐらいがちょうどいいんじゃねぇ? と、まあ、細々と続けている。

しかしツイッターに及んで、ついに「こりゃもういいや」という諦めの境地に達した。やってみる気にならない。

物事を反芻したり熟考したり内省したりする時間や手間。その面白みとは対極にある、情報垂れ流しプラットフォーム。それこそが、インターネット的な「なう」なのだとは理解しているが、そこに受け入れがたい違和感がある。

……書いててあまりの古臭さに嫌気が差すが、こればかりはどうにもならない。

っていうか、140文字って、20文字×7行でしょう? それだけの文字量に言いたいことを収めるのって、ものすごい文章力が必要なはずだぜ……。余計時間かかるよ……。

いや別にさ、ツイッターやらなきゃいいだけの話だし、強制されてるわけでもない。よくテレビ番組について建設的な批判をした人に対し、「じゃあ観なきゃいいじゃん」という非建設的な批判返しをする人がいるじゃない? 身も蓋もないけど、分からないでもない。

だけど、なんかさ。そういうツイッター的なモノが主流になっちゃう世界なんだと思うと、イヤになっちゃってさぁ。文章の意味が違いすぎるっていうか……。

オレが好きな文章、読みたい文章は、ツイッターほど「なう」なものじゃないんだ。

気軽に140文字を書き飛ばせない。その抵抗が、自分でも面白い。そのわりに、こうしてブログにダラダラ書いているのも、ワケが分からない。まぁ、いいじゃん。何の制約もなく、伸び伸びと書くのも、時には、ね。

さ、気持ちの整理もついたし、twitter始めてみっかな。

袖ヶ浦フォレストレースウェイなう。

あ、「なう」じゃねぇ。11日前だ。

袖ヶ浦走行は10月16日。11日寝かせることで、冒頭の「とても興奮すべき経験でした」という一点の無駄も曇りもない一文に到達した。本当はあと1年寝かせて「イット・ワズ・ナイス」ぐらいにしたい。いや、さらに5年寝かせて「グッド」になってこそ、初めて芸術的表現と言えるのではないか──。

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コメント

袖ヶ浦は周辺住民かの騒音苦情でCBR600RRの国内仕様程度の排気音でないと走行できないらしい。87dB以下とか。
4輪はスキール音ですでにアウト?

投稿: わだ | 2009.10.28 12:03

私は、雑誌で一度読んだ記事でも
本になったら買う事は多々あります。
単に保存しやすい形態だから…という理由もありますが、
保存する目的は、再度他人の話を読みたいがためです。
繰り返し読むのは、昔読んだ時と今では
何かが変わっていることを期待しての行動でしょうが、
成長(または衰退?)は長いときの流れでおこるもので、
本を無くすか整理(という名の廃棄)してしまい
目的が果たされ無いことが殆どです。

小学校の国語の教科書あたりが
差分を感じることが出来てベスト位置なのですが
現役世代の感想を聞くと

「オレ…やさぐれちゃったな」
と、気分がダウンするのでお勧めできません(^_^;)


ツイッターは「衝動」なのかなぁ
忙しい私は私見が入るとしても
整理された情報を「選択」しますね。

投稿: かすにん | 2009.10.28 22:03

あああ、結局何が言いたかったのかと言うと
編集された情報は「なう」でないかわりに
価値があるという………

ツイッター向きではない
無能なかすにんより。

投稿: かすにん | 2009.10.28 22:07

>わださん
騒音問題はかなり厳しいようで、2輪はノーマル以外ほぼアウトっぽい話も。ドリフトも難しいでしょうね…。

>かすにんさん
「なう」にも「なう」の価値があるとは思うんですけどね……。僕には馴染まなくて。かすにんさん同様、オレもツイッター向きではないのは確実です。

投稿: ごう | 2009.10.30 15:55

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