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奥多摩周遊道路に行った

免許を取って22年(げ、そんな経つのか)。先日、生まれて初めて行ってしまいました。未踏の地・奥多摩周遊道路に。台風一過の日曜日、仕事だったのでオレはクルマを運転していたと思ってくだせぇ。

いやー、結構な数の走り屋的ライダーがブンブン走ってるもんなんですね。スーパースポーツやネイキッドで、ガシガシとヒザを擦っている。ひょえ〜。かと思えば、意外と軽装で飛ばしているライダーも多い。うひ〜。途中いくつかある駐車場には、バイクがたむろっていた。怖い〜。しまいには1台ブッ刺さっているバイクもいた。あちゃ〜。

月刊オートバイ誌の「俺達のサーキット」を立ち読みしていた10代の頃は、「奥多摩ってすげぇ人がいっぱいいるんだなー」と思っていた。正直、腕も度胸もなかった(今もない)オレは、怖くて近寄れず、奥多摩といえば青梅街道(国道411号線)を一目散に駆け抜けて、塩山まで行って帰ってくるという往復ルートがほとんどだった。

その頃はまだ奥多摩「有料」道路だったということもあったし、とにかく怖そうな道路というイメージが強かったので、走る機会はまったくなかった。まさに「雑誌の中の世界」だったのだ。

そんなわけで憧れもあったのだが、実際の奥多摩周遊道路はさほど大したワインディングではなくて、拍子抜けした。路面もそれほどよくないし、長さもイマイチだし、減速帯やらポールやらがごっそりと設置してあって、走りにくそうだ。「えっ!? マジでココなの!?」って感じだった。

走り屋たちが集まるギャラリーコーナーみたいなのがあって、自分の走りを見せつけたり、他人の走りを見られるってことぐらいじゃないのかな? 奥多摩周遊のよさは。駐車場でタコ焼き食いながら語り合ったり? 分かんないけど、そういう一種の連帯感がたまんねー魅力なのかもしれない。

しかし、20年経った今も、「俺サ」状態とは…。あいや、当時はもっとスゴかったんだろうけど…。見たところ若いライダーはほとんどいなかった。まさか俺サ世代が大人になって、リッターバイクで昔と同じことをやってる、なんて話ではないと信じたい。

↑2006年6月にアップされた映像だが、この中で「ここはバイクの聖地みたいな所だから」と言ってる人がいる。まぁ取材なんてある意図に基づいた切り出しだから、みんながみんなそう思ってるってことにはならない。でも、こういう気分が、はるばる奥多摩の山奥くんだりまでライダーを集めていることも確かなような気がする。

オレにとって聖地は筑波サーキットだった。何しろ「対決! スーパーカークイズ」見まくりで、BOXYのボールペンでスーパーカー消しゴムをパチパチしまくりの小学生だったので、最終問題の筑波バトルはたまらんものがあった。今も取材メモにはインク吐出量過多気味のBOXYボールペンを愛用しているし、スポーツ走行の朝、筑波のタワーを見ると「おおっ、オレがここを走っちゃってイイのか?」と感慨深いものがある。

そうなんだ。10代のオレにとってサーキットはまさに聖地で、自分がそこを走ることなんて想像すらできなかった。会社員だった20代は仕事が忙しく、バイクに乗るといえばたまにモトクロッサーでコースを走るぐらいだった。そして30代、フリーになって自由な時間ができ、再びバイクに乗り始めた。しばらく峠も走ったが、「こうじゃねぇな」と違和感があり、それがサーキット行きにもつながった。時代も、自分も変わっているのに、10代の時と同じ気分で同じことをしていたら、何の進歩もなくて面白くないな、と。

ちょっと話は違うけど、何年か前、まだ今ほどサーキットを走っていなかった頃、DUCATI magazineという雑誌の取材で芳賀紀行と一緒に箱根を走ったことがある。峠での紀行は、意外なほど慎重だった。オレは「なになに? オレってば紀行ブッちぎっちゃうよ!?」なんて調子こいて、先に目的地に到着した。後からゆったりとやってきた紀行は、ヘルメットを脱ぐと、「ごうちゃんはバイクの怖さが何も分かっとらんが」と名古屋弁で言った。

ぞわっとした。「バイクの怖さを何も分かっていない」。その言葉は、オレの胸にガッツリと突き刺さって抜けない。確かに何も分かっていなかったし、今も本当の意味では分かっていないのだと思う。

取り返しのつかない「アッ!」という瞬間に初めて、バイクの怖さが分かったのでは遅すぎる。トライするなら少しでも安全性が高くて、少なくとも他の交通に迷惑がかからないクローズドコースで、ちくちく、ノロノロ、ダラダラ前進していこうと思う。

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↑こんなランキングに追い立てられるのは、もうイヤだ〜〜〜〜ッ!! ……でもやめない。眞鍋かをりと会えるその日が来るまでは。ってか、何でこのランキングやってたら眞鍋に会えるってことになってんの? あ、オレが言ってるだけか。そうか。そうだよな。まぁ会ってみたいんだよ、眞鍋に。いいヤツそうじゃねぇか、眞鍋。「なべ」だって。ぷぷ。

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コメント

バイクの聖地っつったら 砧か鈴鹿(の交通教育センター)だろと思うおいらがきましたよ(笑)

投稿: まこりん | 2007.11.06 12:24

言葉が重いなぁ。

そのことを理解できたのはここ数年だったりする。

あの時代を思い出すとゾッとします・・・・

投稿: しの(黄六2号) | 2007.11.06 15:41

>「バイクの怖さを何も分かっていない」

何か読み覚えがあるフレーズだなぁ~と思いドカマガのバックナンバー漁ってみたらありました。
2005.1月号でしたね。

GOさん749R乗ってたんですねぇ~
あの芳賀選手ぶっちぎっちゃうなんて、当時すげーライターでライダーだな~なんて思ってましたよ。
さすがGO様っす^^v

ちなみに同誌の巻頭の方にはボクも取材対象で掲載されてました^^;

投稿: 赤九1号 | 2007.11.06 17:20

僕の聖地は高校生時代は大垂水峠、大学生になって筑波かな。こんど大垂水峠行って下さいよ。

投稿: ジャカルタ | 2007.11.07 00:22

>メイコリーヌさん
鈴鹿の交通教育センターといえば「プレス受付」って感じだったんですけどねー。

>しのさん
10代の頃、オヤジにしょっちゅう「おまえは絶対畳の上で死ねないぞ」と言われ、心の中で「当たり前だ、死ぬならベッドか布団の上だ」と思ってましたが、オヤジの言いたかったことはそんなことじゃなかったってことです。

>赤九1号さん
おー、ウチのどっかにもその時のドッカマガがドッカリと埋まってると思います。ってことは、ホントに筑波通いが始まる前ですね。ドカマガ捜索して、巻頭見てみよっと。

>ジャカルタさん
夜の大垂水は何度か行きましたが、怖いからやっぱり通過してそれっきり諏訪とかまで走っちゃってました。

投稿: ごう | 2007.11.07 20:44

恥ずかしながら小生も高校生のときは
大垂水峠に毎週通っていました。
人の迷惑省みず、しかもあそこは一般公道で
しかも国道なのに・・・
そんでもってバ〇バ〇マシーンなんて雑誌にも
載ってしまいました。
今、思うとホントに恥ずかしい限りです。

サーキットを走って初めてバイクの怖さや
自分の下手くそ加減もいやというほど分かりました。

投稿: て | 2007.11.07 21:55

>てさん
おお! ○リ○リマシンに載ったんですね。こわごわと立ち読みしてたから、見てたかもしれないですね。僕は峠でもヘタレだったのですが、サーキットでさらにヘタレだということに気付きました。まぁどっちみちヘタレというわけですが、思いっ切り走るために用意された場で、しかもタイムという指標があるサーキットの方が、今はしっくり来ています。ですが、サーキットの「赤ゼッケン」になれる日は、まだまだまだまだ遠そうです。正直そんな日は来ないのかもしれませんが、じくじくと頑張っていくつもりです。

投稿: Go | 2007.11.08 08:22

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